大判例

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東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)306号 判決

一 請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがない。

二 ベンチクランの国外での薬効

成立に争いのない甲第三号証の一(第一引用例)同号証の二(第二引用例)、第九号証の一、第一〇、第一一号証によれば、ベンチクランは筋鎮痙作用、鎮静、血管拡張作用等を有する医薬品として、ドイツではハリドール、フルデイラート、ソビエツト、ハンガリーではガリドールの商品名で、いずれも胃溶剤である錠剤、注射剤の剤形で上市され、例えば、ハリドール及びフルデイラートは一アンプル中に五〇ミリグラムのベンチクランを含む注射剤として、また一錠中に一〇〇ミリグラムのベンチクランを含む錠剤として使用され、錠剤の場合一回一錠ずつ一日二ないし三回、重症のとき一日四回投与されていたこと、一九七三年にドイツで行われたフルデイラートの胃溶剤投与の一五八の自験例(一錠一〇〇ミリグラムのものを一日一錠ずつ三回、平均三か月間投与、重症者には当初七~一〇日間は一日二錠ずつ三回投与)では七一パーセントが著効、二二パーセントが有効、六パーセントがやや有効、一パーセントが無効という良好な結果を得たこと、また、一九六八年におけるソビエツトのデータでは五〇ミリグラムずつ一日一~二回、二〇日間のガリドールの筋肉注射が最も効果的で、胃溶剤は余り有効でないことを示していることが認められる。

三 わが国での薬効及び本願出願の経緯

前掲甲第九号証の一、成立に争いのない甲第九号証の二ないし六、第一九号証の一、二、第二〇号証によれば、原告は昭和四二年六月頃ハンガリーのメデインペツクスからベンチクランを技術導入し、当時同国で製剤化されている胃溶剤及び注射剤の剤形で昭和四三年末から昭和四六年中頃までにかけて一九の医療機関にその臨床試験を依頼したところ、四医療機関より報告があつたにすぎなかつたこと、これらの報告によるも、胃溶剤については確たる薬効と認めるに足りる資料はなく、また、注射剤については薬効が認められた症例がある反面局所障害の副作用の発生がみられたこと、そこで、原告はベンチクランについてわが国において胃溶剤及び注射剤の製造販売を断念し、他の剤形について研究した結果腸溶剤化した本願発明に成功し、その特許出願をするとともに、昭和五〇年四月二二日旧薬事法一四条一項に基づきベンチクランの腸溶剤の製造の承認を申請し、昭和五二年八月一八日その承認を得たことが認められる(右の製造承認申請及び承認に関する事実は当事者間に争いがない。)。

四 取消事由1について

原告が本願発明の命題の新規性(目的の非予測性)の看過として主張するところは、その趣旨が明確でないが、そのうち、外国で薬効が顕著であつたベンチクラン胃溶剤がわが国では薬効が低いという事実は全く予想外の事態で当業者の容易に知るところではない旨主張する部分は結局本願発明の課題の新規性ないしその発見の困難性を主張するに帰すると解される。

しかし、原告がベンチクランを導入した当時及び本願出願当時において、外国から技術導入し日本薬局方に収められていない医薬品につき国内で製造するには旧薬事法一四条により厚生大臣の承認が必要であり、右承認申請するに当つては薬効、副作用につきわが国で得られた臨床試験成績資料の提出が必要であるという運用がなされていたことは当事者間に争いがない。

かような医薬品製造に関する行政上の規制に鑑みれば、原告と同様ベンチクランを国外から技術導入し国内で製造しようとする当業者であれば、すべて前記臨床試験成績資料を提出することが必要であつたから、その臨床試験を実施する過程において原告同様ベンチクランが胃溶剤としてはわが国では薬効が低いという結論を得るであろうことは当然に予測し得るところである。したがつて、当業者にとつては、ベンチクランが胃溶剤として外国では薬効が顕著であつたのにわが国ではそれが低いという事実は容易に知り得るところであり、本願発明の課題を発見することも容易であるというべきである。

原告が命題の新規性の看過として主張するその余の部分は、腸溶剤選択の困難性を主張する趣旨であり、取消事由2と重複すると解されるところ、取消事由2が理由のないことは後に判断するとおりである。

よつて、取消事由1は理由がない。

五 取消事由2及び3について

そこで、ベンチクランにつき前記四のような知見を得た当業者が原告同様腸溶剤に着目しその剤形化を試みることが容易であるか否かについて検討する。

1 先ず、腸溶剤の性質についてみるに、胃溶剤及び腸溶剤とも経口剤であり、胃溶剤とは投与された薬剤を胃内において腸で吸収されやすい形に崩壊した後これを腸に送り腸壁に吸収させて薬効を得る剤形であり、腸溶剤とは胃内で右のような崩壊を行うことなく薬剤のまま腸に送り腸壁に吸収させて薬効を得る剤形であることは当事者間に争いがない。この事実と成立に争いのない甲第三号証の四(第四引用例)、第四号証の一、二、第一二号証の一ないし四によれば、右の腸溶剤は、胃の作用を受けることなく胃を素通りし腸に至つて直ちに崩壊又は溶解する性質のコーテイングを施した経口剤であり、製剤学上重要な剤形のひとつとして一八〇〇年代後半からこれに関する研究が行われていたが、右剤形は、当該薬剤が(イ)胃液により無効化される場合、(ロ)胃に対し刺激作用を有する場合、(ハ)胃の消化作用を阻害する場合にいずれもこれら悪影響を防止するため採択されるほか、(ニ)当該薬剤を腸内に濃厚に作用させる必要がある場合、(ホ)その作用を延長させたり調節したりする必要がある場合にも採択されるものであること、しかし、腸溶剤については薬効に関しなお多くの問題があるとされ、例えば、前記(ロ)の理由により腸溶剤化されているアスピリン投与の場合、普通の錠剤に比べ最高血中濃度に達する時間が非常に遅く、また、得られた血中濃度も著しく低いとの指摘や、前同様の理由により腸溶剤化されている抗結核剤であるエチオナミド投与の場合も腸溶コーテイングしない錠剤に比べ血中濃度が低く、個体間の血中濃度の変動が大きいとの指摘があること、以上のことは本願発明出願当時当業者間では公知であつたことが認められる。

以上の事実によれば、当業者はある医薬品の剤形を決定するに当つて、前記(イ)ないし(ホ)のような誘因がない限り、その薬効を疑問視する指摘のある腸溶剤を選択しないことが通常であるということができる(請求の原因四、2、(三)、(イ)(ロ)の事実は当事者間に争いがないから、被告においても腸溶剤が利用されることが少ない剤形であることについて認めているものということができるのである。)。

2 次に、ベンチクランを腸溶剤化することについての誘因の有無を検討する。

(一) 第三引用例にベンチクランのフマル酸性注射剤においてPH二及びPH三の場合のベンチクランの残存率がそれぞれ三七・六パーセント、七七・四パーセントであることが記載されていること、第四引用例に胃内容物のPHが一般には約一ないし三・五であり、多くの場合一ないし二・五であることが示されており、また、腸溶剤皮の目的が胃液による薬剤の無効化防止(前記1(イ))等にあることが記載されていることは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第三号証の三によれば、第三引用例には、前記注射剤の安定性の実験に関し、「注射溶液の調製のために、我々は既知の純度のハリドールを水中に懸濁し、そしてフマル酸のカルボキシル基で計算した量のアルカリ液中に溶解し、そしてこの溶液を濃度二・五パーセントにした原液の一部は、塩酸又はアルカリ液でPH二・〇ないし六・四の間にし、シリーズの各々の差が一PH単位となるようにした。この溶液を四ミリリツトルのアンプルに充填し、一〇〇度又は一二〇度(摂氏)で三〇分間滅菌した。各シリーズで検査のために非滅菌試料もとつておいた。既知量の滅菌した及び滅菌しない溶液をアルカリ性にした後にクロロホルムで振出し、クロロホルムの大部分を蒸発し、そして濃縮された溶液をガスクロマトグラムで調べた。結果は表一からわかる。PH二・〇及び三・〇にした溶液は熱処理しなくても著しい分解を示した。三七パーセントないし七七パーセントのハリドールしか不変化のままで存在しなかつた。」「まとめ 新しい痙攣緩解剤ハリドールの安定性の検査のためのガスクロマトグラフイー法についての報告である。三級アルキルアミノエーテルの様に、これは酸性溶液で分解するが、PH五・〇~六・四の溶液中では安定である。」との記載があること(二四頁右欄一一行ないし三〇行、二五頁右欄九行ないし一四行)及び右の表一が別表のとおりであり、最上欄はガスクロマトグラフイ法により生じた物質であり、第二欄はその保持時間であることが認められる。

この記載によれば、審決が摘示した第三引用例のPH二及びPH三におけるベンチクランの残存率は非滅菌試料によるものであると認められるが、右の非滅菌試料には酸性状態を保たせた時間及びその間の温度の明記はない。しかしながら温度については右試料は加熱による滅菌を行つていないから、常温であると認めるのが相当である。また、時間についてみると、右記載によれば、滅菌試料は酸性状態のまま一〇〇度又は一二〇度(摂氏)で三〇分間滅菌処理後ガスクロマトグラムにより右残存率を測定していること、右実験が加熱滅菌しない試料と加熱滅菌した試料のハリドールの残存率を比較調査することもひとつの目的としていることからみて非滅菌試料の場合も滅菌試料と同じく三〇分後の残存率を示すものと認めるのが相当というべきである。

したがつて、第三引用例は、ハリドールは酸性溶液で分解すること、PH五ないし六・四の値の液では九五パーセント以上残存するのに対し、PH二及びPH三の値の液においては常温下三〇分後にはそれぞれ三七・六パーセント及び七七・四パーセントしか残存しないことを示すものであり、前記のように胃内容物のPHが一般には約一ないし三・五であり、多くの場合一ないし二・五であることは公知であるうえ、前掲甲第三号証の四によれば、経口物の胃通過に要する時間は一時間ないし五時間(通常は二時間ないし四時間)であると認められるから、第三引用例に接した当業者はベンチクランは胃液に対し不安定、少なくとも安定度を欠く薬剤であると認識するであろうことは十分予想されるところである。

原告は第三引用例の追試結果であるとして成立に争いのない甲第五号証(昭和五七年五月一四日付実験成績証明書)、第六号証(昭和五八年一二月二一日付実験成績証明書)を提出するも、右各書証はいずれもその記載が余りにも簡単で第三引用例と同一条件下でなされたか否かは明らかでなく、第三引用例の実験結果が明白に誤りと認めるべき根拠とはならないので(第三引用例の実験目的からみて同引用例が数週間経過後のデーターを示しているものはとうてい考えられない。)、当業者の認識が前記のとおりであるとの認定をくつがえすものではない。

(二) 前記(一)に認定したところによれば、第三引用例の記載はたといそれが注射剤に関するものであるにせよ、ベンチクランにつき前記1認定の腸溶剤への誘因(イ)薬剤が胃液により無効化される場合にあたる可能性のあることを示しているものということができる。

そして、原告のようにわざわざ技術導入までした外国で胃溶剤及び注射剤として薬効が認められた薬剤がわが国では胃溶剤として薬効を示さず、注射剤として薬効あるも副作用の関係からいずれもその剤形化を断念した当業者が、前記のような示唆を第三引用例から受ければ、日本人と外国人との体質、食生活、各種生活環境との相違をも考慮して、経口剤として残された腸溶剤に着目することはさして困難なこととは認められず、その剤形化のため各種の実験を試みるであろうことは十分に予測し得るところである。

原告は腸溶剤の特殊性、異例性について種々の主張をするが、ベンチクランにつき前記のような立場にある当業者にとつて、かかる事情は腸溶剤化への試みの妨げとなるものではない。そして、当業者が腸溶剤化への試みに着手すれば、その実験方法は各種あり得るとしても(成立に争いのない甲第二号証によつて認められる原告の試みた動物実験も特に異例のものとは認められない。)、原告同様腸溶剤としてその薬効を奏する結果を得たであろうことは想像するに難くないところというべきである。

3 以上によれば、取消事由2及び3は理由がない。

六 原告がその主張のγ―グロブリン腸溶剤の特許発明の内容を示すために提出した甲第一四号証(発明の名称を「腸内感染症治療剤の製造方法」とする特許公報昭五八―三七二八五)は、本願発明とは事例を異にし、本願を拒絶すべきものとした審決を違法とする根拠とはなり得ない。

七 よつて、本件審決に違法はないから本訴請求を失当として棄却する。

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